kanizaのブログ

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後悔する殺人犯、後悔できない自殺者

いまに始まったことではないけど、殺人事件がよくテレビに出る。

犯人が、殺人という大きな罪を犯しておきながら、捕まって「ひどいことをした。後悔している」などと言うのを聞くと、なぜもっと早くそのことに気付けなかったんだろうかととても残念になる。ある意味、防げた犯罪だ。衝動的な殺人ならまだしも、時間をかけて計画、実行しておいて「後悔している」などというのはとんでもない。自分にとっての問題を解決しようとして他人の命を奪っても、けっきょく何の解決にもなってない。ひょっとして殺したあともそのまま安穏と暮らせるとか思ったのかね。ちょっと冷静になって考える機会があれば、愚かなことだとすぐにわかるはずなんだけど、その機会がなかったというのが残念でならない。

死刑になっても後悔も謝罪もしなかったという宅間守のようなケースは、物理的に近付けないようにするとかしなければ、防ぐのが難しかったと思う。亡くなった子供の両親を見たり、死刑になることが本当に平気な人が、殺人を犯そうとしているのを防ぐのはかなり難しい。いずれも残念な事件だけど、再発防止のための意味合いはだいぶ異なる。宅間守のような人は、この社会に出てこないように(そのように成長しないように)しないといけない。

いまの僕には理解できないけど、後悔する殺人犯も、おそらくその瞬間は「自分に理がある」「他に道はない」と思っているのだろう。「これは間違っている」とは思っていない。でもあとから「間違っていた」「他に道があった」と気付くから、「気付くのが遅い!!」と言いたくなる。でも、これは「後悔先に立たず」と言うように、殺人ほどの大きな犯罪についても、人は判断を誤って後悔するような事態になってしまうってことなんだよな。

人を殺したら、もう取り返しはつかない。でも殺人者はまだ生きているから、反省して、後悔できる。でも、殺した相手が自分だったら事情が異なる。その瞬間は、理があると思うのかもしれない。「他に道はない」と思うのかもしれない。でも、自殺してしまったら、取り返しはつかない。反省も後悔もできない。

もし、自殺した人が、幽霊みたいにその後の様子がわかったとしたら、悲しんでいる周りの人なんかを見て「やめときゃよかった」と思うことが多いんじゃないかな。もっと早くそのことに気付けば、思いとどまることができた例もたくさんあると思う。

日本では1年に3万人も自殺者がいるとのこと。1日平均で何十人も自殺してることになる。ニュースにすらならない。そのうちの多くが、思いとどまることができるケースであるなら、その機会が持てるようになると良いと思う。「やめときゃよかった」と思うような自殺は残念すぎる。