フリーソフトウェアと自由な社会 ―Richard M. Stallmanエッセイ集
- 作者: リチャード・M・ストールマン,Richard M. Stallman,長尾高弘
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 2003/05/06
- メディア: 単行本
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僕がいつもお世話になっている GNU Emacs の開発者であり、フリーソフトウェア運動、GNUプロジェクトの創始者でもあるリチャード・ストールマンのエッセイ集。
フリーソフトウェアの考え方はこれまでもいろいろな形で触れてきたし恩恵をこうむっているけれど、実際問題として、企業が金をつぎこんで開発するソフトウェアをフリーソフトウェアとしてリリースするのは例外的なことだと思っていた。結果的に、企業から出てくるのは「私有ソフトウェア」、つまり改変も複製も禁止、再頒布なんでとんでもないという、Word とか Photoshop に代表されるようなのが一般的になる。これも仕方がないよなぁ、と。
が、この本を読んで、フリーソフトウェアというのものが社会的にいかに重要で、実際的な経済活動の中でも妥当なものかを感じることができた。すごい哲学だ。それでもやっぱり現実的には難しい問題がいろいろあるだろうけど、この本にあるような、私有ソフトウェアの弊害は考慮されて良いと思う。
けっこう衝撃的だったのが次のエピソード。
以前、ある友人が銀行でプログラマとして6か月働いていたときのことを話してくれた。それは、市販されているものとよく似たプログラムを書く仕事だった。彼女は、市販のプログラムのソースコードが手元にあれば、会社のニーズに合わせて修正を加えるのは簡単なことだと思っていた。銀行は、そのためなら喜んでお金を払っただろうが、それは認められていなかった。ソースコードは秘密にされていたのである。そこで、彼女は7か月の無駄な仕事をしなければならなかった。この仕事は、国民総生産の中には数えられるが、実際にはただの浪費である。
「実際にはただの浪費」。プログラミングで暮らしている人間として、これには考えさせられる。「車輪の再発明をするな」というのはプログラマがよく使う言葉だけど、なんかもっと大きなものをどんどん再発明している気がしないでもない(車輪の発明はめちゃくちゃ偉大だけれどね)。
コンピュータのソフトウェアに限らず、デジタルな音楽とか、デジタルな本とか、あとデジタルな放送とか、消費者が簡単にコピーを作れてしまうようになったら、著作権管理機能というやつがあれやこれや盛り込まれて、あれはできない、これはやっちゃだめ、ってのが多い。これも難しい問題だけど、この本を通じていろいろと考えることができた。なんかギスギスしてるもんな。そういうのに疑問を持ってる人はいちど読んでみてほしい。
法律ってのは、国民全体の利益を最大化するためにある。誰か特定の人の利益を最大化するためじゃない。これは忘れないようにしておこうっと。