kanizaのブログ

コンピュータ、ソフトウェア、映画、音楽関連や家族のことなど、思いついたことを書きます。

時間はどこで生まれるのか

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)

これは面白かった。

毎日毎日、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃで、「いったいいつやればいいのさ!!」という中で、どうやって時間を生み出すか、という本ではない。

じゃあ何が書いてあるかと言うと、「時間」ってそもそも何なのさ?なんで「ある」の?という話。僕は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が好きなあまり相対性理論の本を買って読んでしまうという「時間好き」なので、こういう本にはついつい興味を持ってしまう。

量子力学なんかで、ミクロの世界では僕らの常識とは違う世界になっていると言われても、「なんでミクロだからって常識と違っちゃうのさ?」といまいちよくわからなかったりする。でも、たとえば温度が分子の運動によるものだとかってのを知ると、僕らが目にしている物理現象ってのはものすごくたーくさんの分子やらが集まったマクロな世界ならではのもので、たとえば分子が1つしかない世界ではぜんぜん違うはずだよね、っていうのはたしかにそうだろうなと思う。

そういうわけで、温度とか色とか、ごく基本的な物理的現象と思えるものも、実はマクロな世界の現象を人間がどう認知するかって問題で、「ある」かどうかってのは微妙。それと同じように空間とか時間ってのも人間の認知の問題で、ミクロな世界ではあんまり意味がないものだったりする。だから僕らにとって絶対的存在に思える「時間」ってのもそもそも人間の認知の問題じゃないの?という。本書でそういう話をエントロピー増大の法則なんかと絡めて熱く、そしてわかりやすく語ってくれている。

相対性理論では光速度が不変で、そこからいろいろと不思議な結論が導き出される。それは僕らにとっては速度よりも距離(空間)や時間の方が不変に思えるからなんだよね。でも空間や時間っていうのも人間の認知の問題だとすると、光速度を基準に時間や空間がウニャウニャしちゃうってのも納得できる気がする。光速度不変を思い付いたアインシュタインはすごい。

そういうわけで、時間までも人間や他の生き物の認知の問題だとすると、そもそも宇宙ってのはどういう存在なんだろーとかモヤモヤ考えてしまう。僕ら以外にこの宇宙のことを知覚している存在がいたとしても、時間や空間すら共有できないのかもしれないのかなーとか。宇宙おそるべし。