kanizaのブログ

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小説「フランケンシュタイン」を読んだ

メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」を読んだ。きっかけは「100分de名著」で取り上げられていたのを見て、興味を持ってのこと。

フランケンシュタイン、その名前は多くの人が知っていると思うが、その圧倒的な知名度に比べて原作小説を読んだ人の割合が少ない作品のようだ。僕自身も「怪物くん」の「フランケン」のイメージくらいしか持っておらず、元ネタが小説なのか映画なのかなのかもよく知らなかったし、あくまで娯楽ホラー作品のキャラクターなのだろうと漠然と思っていた。

しかし原作は「100分de名著」が取り上げるくらいには「名著」であり、番組を見ても、実際に読んでも、たしかに名著であった。

3重の入れ子になった物語構造、人間の学び、外見による差別や憎悪、科学技術の功罪など、興味深いポイントやテーマがいくつもある。この作品を19世紀のはじめに19歳の女性であったメアリー・シェリーが著したというのがすごい。作中では「失楽園」や「プルターク英雄伝」といった作品(名著)が取り上げられているのだが、取り上げているということは著者は当然それらを読んでしっかり理解しているということである。彼女は「フランケンシュタイン」という深い作品に、さらなる深みを与えるためにそれらの名著に触れているわけで、19世紀にそれがどういう意味をもっていたかはよくわからないが、少なくとも今の僕の感覚では「天才」としか言いようがない。

印象的だったのは、「フランケンシュタイン」の怪物が、数々の苦難の末に生みの親であるヴィクターと再会し、まず頼んだのが「おれの話を聞いてくれ」だったこと。

ことし読んだ本の中に「LISTEN」があり、それはひたすら「聞く」ことの大切さ、そしていかに僕らが相手の話を聞いていないかを述べている本であったが、それはつまり「話を聞いてもらえる」ということもまたありがたいことだという意味でもある。怪物は、その外見のせいでなかなか話を聞いてもらえなかったわけだ。そして、ようやく再会した生みの親に「話を聞いてくれ」と懇願する。

偏見をもたずに相手を認めること、しっかり相手の話に耳を傾け、思い込みをなくして理解につとめること。それが大切だと言うのは簡単だが、では自分はできているのか。「フランケンシュタイン」はそういったことも含め、いろいろと考えさせてくれる本であった。

読み終わって、あらためて「100分de名著」を見てみた。読んだ後だとまた違った発見があるし、解説の先生の話もよく理解できた。初回に紹介される本作へのよくある誤解も面白いし、第4回(最終回)で伊集院氏が述べる、怪物の誕生と作品自体の誕生の相似形の話もとても面白い。NHKオンデマンドなどでぜひ見てみてほしい。


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