kanizaのブログ

コンピュータ、ソフトウェア、映画、音楽関連や家族のことなど、思いついたことを書きます。

私刑

このところのいろんな事件報道は、加害者(と思しき人々)を徹底的に糾弾して厳罰に処しましょう、という流れに見える。

ぼんやりと、罪の大きさってのはどうやって決まるのかなぁと考えたりする。刑務所に入る期間の基準は刑法にあって、具体的には裁判で決まるわけだ。発生した被害の大きさというのはひとつの要素ではあると思う。

たとえば「人を殴ったら1年間刑務所に入りなさい」と決まっていたとしても、「1年間刑務所に入ったので人を殴ってもいいです」ってことにはならないよね。でも「1年間刑務所に入るのなら人を殴ってもいいです」とは読めるのかもしれない。

殴られた痛みは日が経てば癒えるかもしれない。でも死んだ人は生き返らない。だから、刑務所に入ったからって何かが解決するわけではない。

飲酒運転や銃刀法違反とかは、それだけでは被害がなくても、「危険」ということで禁止されている。被害を未然に防ぐ意味では必要なことだろうと思う。

いまのように、法律や裁判で罪を裁くという仕組みは「私刑」を禁じるということでもある。私刑、言い方を変えると「リンチ」。

報道を見ていると、法律や裁判ではないものによって被疑者、加害者らが裁かれているように感じる。しかもかなりの勢いで。