kanizaのブログ

コンピュータ、ソフトウェア、映画、音楽関連や家族のことなど、思いついたことを書きます。

JR福知山線脱線事故あれこれ

おととい、JR福知山線脱線事故現場に行ってきた。うちから自転車で10分くらいのところだ。現場に行ったのは事故当日以来。報道にもあるとおり、事故車両は撤去されているし、献花台にはたくさんの花束が供えられているし、献花に訪れる人も見える。報道陣もけっこういた。献花台のところにはJRの腕章をした数人が立っていて、献花にきた人に深々と頭を下げていた。僕は少し離れたところから手を合わさせてもらった。現場の近くには事故の影響で停車した列車がそのままになっている。動き出す予定のない列車が線路の途中にあるというのは薄ら寒い光景だ。

もう、事故から2週間以上がたった。あの日、仕事をしていたら会社からの安否を確認する携帯メールが届いて、事故を知った。ウェブのニュースサイトを見たら、何がどうなっているのかわからないくらいに変形した電車の写真が出ていた。外を見たら現場上空付近をたくさんのヘリコプターが飛んでいて、さっきから音がしてたのはこれだったのか、と思った。大きな騒ぎになりそうだったので、とりあえず地元の親に無事を伝える電話をした。その時はまだ状況が伝わっておらず、親はなぜ連絡がきたのかよくわかっていない様子だった。

事故から1日、2日がたった段階ではまだ状況が見えない部分があったけど、とりあえず僕のごく身近な人には事故の被害にあった人がいなそうだった。しかし、面識はないながらも僕が密かに尊敬していた石井勝さんが事故列車に乗り合わせていて亡くなられたということを知った。石井さんがソフトウェア開発に関してまとめていた「まさーるのページ」は、僕が知る中で最も親切で、丁寧で、有益で、美しいウェブページのひとつだった。間もなくオブジェクト倶楽部にて石井さんの追悼ページができた。現在、「まさーるのページ」はご友人の森さんのサイトに保存されているそうだ。たいへん惜しい人を亡くしてしまった。

石井さんはじめ、亡くなられた107名の方々のご冥福をお祈りします。ご遺族および怪我をされた方々の心身の傷が一日も早く癒えてほしい。また、JR西日本の職員の方々など、この事故を通じて大変な心の痛みを感じている方がたくさんいると思う。心中、察するにあまりあるところのはず。がんばっていただきたい。

今回、週に1度くらいは利用する路線での事故だったので、しばらくは報道から目が離せなかった。テレビでも毎日トップで取り上げていた。1週間ほどたったあたりで、事故当日にJR西日本の職員がボウリングや宴会に興じていたことが問題になった。このあたりから、報道の目的がよくわからなくなってきた。たしかにボウリングや宴会はほめられたもんじゃないけど、トップで大々的に取り上げるほどのことかよと苦々しい思いがしていた。同じように思った人はたくさんいたようで、視聴者からの疑問や報道サイドからの反省の言葉も出てきた。こわいのは、テレビに出ている人が「常識では考えられない行動」とかいうと、なんとなく「そうかもな」と思ってしまうところだ。

JR西日本の幹部が記者会見に応じている様は、かなり痛々しい。彼らの精神状態が心配になってしまう。ちゃんと眠れるのだろうか。被害者のもとへ謝罪に回っているけど、どんな罪について謝っているのだろうか。

今回の報道やいろんな人の反応を見ていて、「事件報道というのは何のためにあるのか」ということを改めて考えた。社会全体で問題をとらえ、同種の問題の再発を防ぐ教訓とするためなのかな。それとも、責任者を追求して社会的制裁を加えて「二度とこんなことを起こすまい」と思わせ、まわりが「自分はああはなりたくないな」と思うためかな。受け取る側としても、どういうつもりで読んだり見たりするのか、考えてみたい。

この出来事についてはほかにも思うところがたくさんあるけど、今日はこの辺で。いくつか関連リンクをあげておく。